マナーモードを解除し忘れていた携帯が、メールを受信したことを知らせてピカピカ光っている。携帯を開くと、登録していないアドレスからのメール。でもわたしはこのアドレスに見覚えがある。彼がアドレスを変更したときに登録するのを忘れていた。

『久しぶり さっそくやけど飲みに行こう』

 人が走ってる絵文字を使い、わたしを誘ったのは忍足謙也。最後に会ったのは先週、わたしのバイト先のファミレスで会ったとき。そこまで久しぶりじゃない。そういえば、謙也と遊んだことってあったっけ?と昔の記憶をよみがえらせても、そんな思い出はない。

 その日はバイトが終わったら謙也に車で迎えに来てもらうことにした。謙也の友達も数人来るらしい。男も女も。


 高校生のころ、私は謙也のことが好きだった時期がある。人懐っこい謙也とお喋りをするのはとても楽しく、気付いたら好きになっていた。でも謙也には彼女がいた。
 そのまま高校を卒業し、わたしは自然と謙也への片想いも卒業した。そのころだっただろうか、謙也と彼女が別れたと本人から聞いたのは。あまりにも彼が普通に答えたので、最近どう?と尋ねた自分を殴りたくなったのを、よく覚えている。



 今はもう謙也の名前を聞いても、顔を合わせても、特別な感情は芽生えない。今こうして謙也が運転する車に乗ってても、普通に友達と喋っているような気分だ。


「久しぶりやなぁ」
「先週会ったばっかだよ」
「その、な、先週俺と一緒におったやつ覚えとる?」
「えー……あんまり。ていうかたくさんいたじゃん」
「そのうちの1人がのこと気になる言うてて。ほんなら皆誘って飲み行こうかーってなってん」
「は?」

 私達が黙ると同時に、流れている音楽も一瞬だけ間が開いた。そういうことか。聞き慣れない歌とワイパーが動く音と雨の音を聞きながら、謙也の話すことに相槌を打つ。謙也以外、初めて会う人だから少しだけ緊張する。

「帰りはそいつに送ってもらったらええ、な」

 謙也の頭の中では、凄い勢いで物語が発展していた。わたしと謙也のお友達が仲良くなる物語。








「ん…………?」

 目を覚ましたら、違う天井に、違う布団、違う部屋。そんな、頭を抱えたくなるような現実が私を待っていた。もしかしたら、やらかしたかもしれない。

 記憶をたどれば、あいまいなものがわたしの頭を巡る。謙也の友達とそのまた友達が集まった飲み会で、わたしは初めて会った男の子と女の子とアドレスを交換した。わたしのことが気になると言っていた人ととなりの席になった。わたしの斜め前で、明日朝イチで実験やから、とお酒を断る謙也のことはよく覚えてる。

 開けっぱなしのカーテンからまぶしい光が漏れるけど、朝の光じゃない。きっとお昼すぎなんだろう。部屋の主は、ここにはいない。

「やらかし、た」

 自分は、こんなばかなことはしないと思ってた。友達から話を聞くと、わたしには縁のない話だ、と思ったほど。それなのにどうだろう!今の有り様を!笑ってほしい、罵ってほしい。やけになって、布団に顔をうずめた。なぜか、かいだことのあるような、においがした。そのとき。


「ただいまー……起きたか?」

 玄関のドアが開かれて、謙也が現れた。え?え?どういうことなの。
 謙也はコンビニの袋を床におろして、そこからミネラルウォーターを取り出した。

「大丈夫かぁ? あれは飲みすぎやろー」

 わたしに水を渡したとたんに、立ち上がって部屋中をうろうろする謙也は、どこかおかしい。悩んでいるような、ううう、と声を上げながら部屋を歩き回っている。そんなわたしはと言うと、まだ現状を理解できていなくて、重い頭に苛立ちつつ、水を飲んだ。

「な、なぁ」
「な、に」
「昨日のって…本気なん?」

 謙也は素早く床に腰を下ろすと、すごくまじめな顔でわたしを見つめる。久しぶりに、謙也にどきんとした。どきどきしているけど、そもそもわたしは、

「ごめん、昨日のこと途中までしか覚えてないんだ、よね」

 そう、そうなんだ。覚えてないんだよ謙也くん!

「は、はぁ!?」
「だから教えてくれると嬉しい、なぁ、なーんて」
「…………ほんま覚えてないん?」
「うん……」

 えへへ、とわざとらしく笑って見ると、謙也はあからさまに脱力した風に、床に寝そべった。うー、とか、あー、とかぼやきつつごろごろしている姿は少し可愛らしい。気が付いたらわたしは高校生の時とおなじような感情を謙也に抱いていた。

「よ、酔っ払ったが!」
「うん」
「お、お、おお、俺のこと、す、す、好きって!皆の前で!」
「えっ」
「で、そのままつぶれて、俺は酒飲んでへんし、の家知らんから、俺の部屋まで運んで」
「……」
「ほんまな、何もしてへんから!俺ベッドからめっちゃ離れたそこの床で寝てん!あー覚えてへんとか、あー、うー、ほんま、うー」

 真赤な顔をした謙也が床で転がる。わ、わたしは…わたしという女は…酔っ払ったとは言え何てを…。というか謙也の友達の隣でわたしはとんでもないことを口走ったことになる。下手をすれば謙也と彼の仲が、壊れるかもしれないのに!自分の馬鹿さ加減に嫌気がさしてきた。わ、わたしって謙也のこと、好き、なの?
 ひとまず布団にくるまりながら深呼吸をした。あ、謙也のにおいだ。わたしの胸はどんどん高鳴って止まることをしらない。
 昨日、謙也のことが好きだと言った自分は、どんな気持ちで言ったのだろうか。気持ちだけ高校時代だったのか。今はとてつもないくらいばくばくと音を立てているけれど、だめだ、もうわからない!

「あ、あのさ、ごめん」
「いや、謝らんでええよ。結構酔ってたしなぁ。それともあいつ気に入らんかった?」

 謙也は、大丈夫、と笑うけどその笑顔はやっぱりどこか悲しそうで、ずきんと胸が痛んだ。

「えっと、そうじゃなくて。あ、あの!」
「お、おお」
「わたし、昨日言ったことは覚えてないし、正直昨日は好きだったのかわからないけど、今は謙也のこと、好きだよ」
「…………えっ?」
「ごめん! 色々ありがとう! 帰る」

 言った。言ってしまった。ほぼ勢いだけで言った。すごく恥ずかしい。口をぽかーんと開けた謙也を見てたら、自分は何を口走ってしまったのだろうと更に恥ずかしさが増した。もうこれは帰るしかない。言い逃げ上等だ!急いでベッドから出て、床に置いてある鞄を掴もうとしたその時、謙也に腕を掴まれた。

「ちょ、ちょい待ち! とりあえず座って、な」
「い、や、だ、恥ずかしい帰る」
「あのな、俺も……今、が好きや」

 無理やり謙也の正面に座らせられたわたしは、ものすごく赤くなっている謙也に告白の返事をもらった。言った瞬間、わー!と叫び顔を両手で覆う謙也がおもしろくて、たまらずふきだした。

「せやから、俺と付き合うてください」

 耳も熱そうにしてわたしの手を握る謙也は、とてもかっこよかった。
 結局付き合うことになったわたしたちだけど、わたしはあの謙也の友達がすごく気になっていた。悪いことしたかなぁ、とか、謙也の友達なのになぁ、とか色々思いをぐるぐるさせていた。後から謙也から聞いたのだけど、あの飲み会に参加していた女の子と付き合うことになったらしい。だ、誰でもいいんじゃんか。